“わたしの夢“応援プロジェクト vol.23 トークイベント「輝け!! 未来へ!! 東北のパラの星」を開催しました

2020/03/18

2019年のチームスマイルは、乙武洋匡さんとパラアスリートがともに語り合うイベントを連続開催しています。3月のいわき、8月の仙台に続く第3弾にして最終回となるトークイベント「輝け!! 未来へ!!東北のパラの星」が、12月14日(土)、ラグビーW杯の会場となった釜石鵜住居復興スタジアムから目と鼻の先にある、釜石東中学校体育館で実施されました。東日本大震災の津波で全壊し、2017年、鵜住居の高台に新校舎が完成した中学校です。

出演は、齋藤由希子さん(やり投げ F46クラス、所属:SMBC日興証券株式会社)、萩野真世さん(車いすバスケットボール女子、所属:アビームコンサルティング株式会社)、村田奈々さん(水泳S21クラス自由形、所属:釜石市役所、イーハトーブSC)の女子パラ選手チームに、文筆家・乙武洋匡さんをインタビュアーに加えた計4人です。

この日、全員の集合場所となったのは、出演者控え室として使用した釜石東中学校の技術室。生徒のみなさんが授業で製作中の木製ブックスタンドが、技術室の隅にずらりと並んでいます。

最初に技術室に到着したのは、乙武洋匡さん。朝6時台に東京を出た東北新幹線が盛岡駅に着いたとき、盛岡は大雪だったそうですが、車で釜石まで移動してみると、残雪もないほどにからりと快晴。「大雪にも快晴にも、二度びっくりしました。内陸と沿岸部で、全然天候が違うんですね」と乙武さん。続いて、齋藤由希子さん、萩野真世さん、村田奈々さんが、それぞれの自家用車で釜石東中学校へ。「今日は女子会のノリでいいと聞いてきましたよ」と齋藤さん。技術室が、にぎやかな笑い声に満たされます。

釜石東中学校体育館。新校舎とともに、まだピカピカの施設です。

釜石東中学校体育館。新校舎とともに、まだピカピカの施設です。

イベントの開演は昼12:00。釜石東中学校体育館の床には、12月の太陽のどかな陽だまり。大型の石油ヒーターが、フル稼働で体育館を暖めています。会場には60名が集まりました。

出演者全員が、まずはひと言ずつ、挨拶を回した後は、さっそく、国内トップの女子パラ選手3名による競技デモンストレーションです。

齋藤由希子さんは、競技用やり、室内練習用4kgソフトゴム砲丸球、やり投げ練習用のサンドボール600g、小学生が投てき競技に使うジャベボールを持参。客席の希望者が、それぞれのギアを手にとって、投てき競技を体験します。ちなみに齋藤さんは、砲丸投げF46クラス(上肢切断・上肢機能障害)の世界記録保持者(12m47)。室内練習用4kgソフトゴム砲丸球を試投した男性からは「重かったです。男子用の7kgだったら絶対投げられないと思いました」との感想が。

齋藤由希子さん。8月の仙台に続き、このイベントへの出演は2回目。

齋藤由希子さん。8月の仙台に続き、このイベントへの出演は2回目。

齋藤さんの競技デモ。女性が投げているのは、小学生の投てき競技用「ジャベボール」。ずんぐりむっくりの矢のようなかたち。巧く投げられたときは、ピューッと音が出ます。

齋藤さんの競技デモ。女性が投げているのは、小学生の投てき競技用「ジャベボール」。ずんぐりむっくりの矢のようなかたち。巧く投げられたときは、ピューッと音が出ます。

続く萩野真世さんは、競技用車いすにのって、ドリブルとシュートを披露しながら、車いすバスケットボールの競技説明をわかりやすく。客席からの男性参加者が、生まれて初めて車いすに乗り、萩野さんのコーチでシュートを体験します。「車いすではジャンプできないので、車いすで勢いをつけて打つといいですよ」と萩野さんのアドバイス。参加者は「普通の車いすとは違って、タイヤがハの字になっているんですね」と、競技用の車いすの操作性を実感していました。

萩野真世さん。静かな語り口の裏に、アスリートの熱いパッションを感じます。

萩野真世さん。静かな語り口の裏に、アスリートの熱いパッションを感じます。

客席から志願した男性がワンハンドのシュートでゴールを狙います。全員の視線がボールへ。

客席から志願した男性がワンハンドのシュートでゴールを狙います。全員の視線がボールへ。

ラストは村田奈々さんの登場です。「プールがないと競技デモができないので、替わりにトレーニング方法を紹介します」。水泳選手のための肩甲骨ストレッチと腹式呼吸法のエクササイズを、会場の全員で体験しました。現在、最新テクノロジーの義足を使い、二足歩行に挑戦する"義足プロジェクト"で奮闘中の乙武さんは「毎晩、車いすを使わずに、非常階段を30階分上るトレーニングをしているのですが、今日はいいトレーニング方法を教えてもらいました!!」。

村田奈々さん。愛娘の伶奈さん(小5)は、客席でママのトークを見守っていました。

村田奈々さん。愛娘の伶奈さん(小5)は、客席でママのトークを見守っていました。

村田さんの肩甲骨ストレッチ。肩の周りがほぐれていくのがわかりました。少し汗ばむほど。

村田さんの肩甲骨ストレッチ。肩の周りがほぐれていくのがわかりました。少し汗ばむほど。

競技デモンストレーションの後は、乙武さんの司会で、齋藤さん、萩野さん、村田さんとのクロストークです。

齋藤さんへ、乙武さんから質問が飛びます。「中学の部活動以来、ずっと健常者と一緒に競技してきた齋藤さんが、大学生のときに最初に出場したジャパンパラ競技大会(日本国内最高の障害者スポーツ大会)で、いきなり、砲丸投げ、やり投げ、円盤投げの3種目で日本記録。正直、こんなものなのか、と思いませんでしたか?」。齋藤さんは答えます。「それがなかったとは言いません。でも、障害者の大会には、違う景色が待っていました。ここ(障害者の大会)でなら、世界と戦うがことできる。世界を目指すことができる。そう思いました」。東京パラリンピックでは、世界記録を持つ砲丸投げF46クラスが競技実施されないため、やり投げでの挑戦となる齋藤さんは続けます。「やり投げでは現在世界17位。厳しい戦いですが、チャンスはあります」。
続いて、乙武さんの質問マイクは萩野さんへ。「萩野さんが車いすバスケットと出会ったのはいつ?」。萩野さんは即答でした。「中3のときです。2008年北京パラリンピックのTV放送で車いすバスケットボールを知り、練習に参加しました。車いすがぶつかる音、タイヤが軋んで焦げる臭い。かっこよかった。一目惚れでした」。参加したチームは、現在、全日本選手権(天皇杯)で11連覇中の名門・宮城MAX。萩野さんは言います。「国内の大会では、男子選手と混じって試合に出ます。男女混合のゲームでは、得点を獲る男子選手のために壁や道を作る役割。女子だけの大会では、ボールの捌き役もやれば、自分で得点を獲りにも行く。いろいろな役割ができることは、選手としてプラスです。東京パラリンピックではメダルが目標。まずは自分が代表に選ばれるように」。

乙武さんと選手のQ&Aには、障害を抱える人たち同士の、共感と本音があふれていました。

乙武さんと選手のQ&Aには、障害を抱える人たち同士の、共感と本音があふれていました。

村田さんは、本日の選手の中で唯一、11歳の子どもを持つアスリート。乙武さんは訊きます。「子どもがいる競技活動。その大変さはプラスになりますか」。村田さんの答えはイエスです。「遠征のとき、娘と電話で話します。レースがうまくいかないときは「残念だったね。明日があるよ」と励ましてくれる。ときには厳しく「それはママがおかしいと思う。練習していないからでしょ」と、怖いときも(笑)。アメとムチの使い分けが上手」。村田さんのS21クラスは、診断書の医学データ不足の関係で国際大会でのクラス設定がないため、東京パラリンピックには挑戦できませんが、村田さんは前を向きます。「東京パラリンピックの後で、パラスポーツが盛り下がらないよう、同じ競技者として、盛り上げていきたい。障害者はどこにでもいる人たちだと、知ってもらいたいです」。

村田さんは日常生活用の車いす、萩野さんは競技用車いす、乙武さんは電動車いす。車いすもいろいろです。

村田さんは日常生活用の車いす、萩野さんは競技用車いす、乙武さんは電動車いす。車いすもいろいろです。

イベント上演時間の90分はあっという間。対談の終わりに、もう一度、出演者全員が客席へひと言ずつお別れを述べた後、乙武洋匡さんが締めました。「今日の4人がみなさんの前でおしゃべりができるのは、障害を抱えても「出来ない、足りない」と嘆くのではなく、できることを精一杯やってきたからだと思います。ここ釜石でも、東日本大震災から9年が経ちます。ラグビーW杯の開催で、地域としての強みも発揮されました。釜石だからできることがあります。ここにいるアスリートから力をもらって、地域を盛り上げ、また、アスリートにも力を返してあげてください。競技場に足を運んであげてくださいね」。

乙武洋匡さん。東北3市のパラ選手イベントは、この人なくしてはあり得ませんでした。

乙武洋匡さん。東北3市のパラ選手イベントは、この人なくしてはあり得ませんでした。

全員参加の記念撮影は、ごらんの笑顔、笑顔でした。

最後は、全員で記念撮影を。画面外の運営スタッフを加え、60名が体育館を訪れました。

最後は、全員で記念撮影を。画面外の運営スタッフを加え、60名が体育館を訪れました。

イベント終了後、乙武さんはすぐさま次の仕事で東京へトンボ帰り。萩野真世さんは、夕方からの仙台でのチーム練習に参加するため、こちらもただちに帰り道につきました。村田奈々さんと齋藤由希子さんは、貸切バスで、釜石東中学校のほど近くに新設された、東日本大震災の記憶や教訓を将来に伝える公共施設、うのすまい・トモスへ。釜石生まれ釜石育ちの村田さんと、故郷・気仙沼で避難所生活を経験した齋藤さんは、ありし日の釜石の姿や震災の記録を、真剣なまなざしで見つめます。齋藤さんが「震災のことを知らない子どもが、これから増えていくでしょう。伝えていくことが大事」と語っていたのが印象的でした。

村田さんと齋藤さんを載せた貸切バスが、もう一度、釜石東中学校に戻ってきたころ、校庭にはすでに、いつもと変わらない中学校の時間が流れていました。部活動の生徒たちが、一心にボールを追いかけていました。

写真:西条佳泰/Grafica Inc.